シンガーソングライターの山本コウタローさんが、脳内出血により亡くなられたとの報道がありました。
山本コウタローさんは、フォーク・グループ「ソルティー・シュガー」のメンバーとして活動されていました。
しかし、山本コウタローさんがどんな方なのか知らないという方も多いと思います。
そこで今回は、山本コウタローさんの学歴についてまとめていきたいと思います。
山本コウタローのプロフィール
まず、山本コウタローさんのプロフィールについて紹介していきたいと思います。
・名前 :山本 コウタロー(やまもと こうたろー)
・本名 :山本 厚太郎(やまもと こうたろう)
・生年月日 :1948年9月7日
・年齢 :73歳
・出身地 :東京都千代田区
・職業 :シンガーソングライター、タレント、大学教授
・所属事務所:オフィスプロフィット
山本コウタローさんは、シンガーソングライターでありながら、ドラマ出演されたり、大学教授をされていました。
自身の名前が入った「走れコウタロー」が大ヒットし、一躍有名になりました。
また、日本レコード大賞では、新人賞を受賞されています。
マルチに活躍されていた山本コウタローさんですが、一体どんな方だったのでしょうか。
まとめていきたいと思います。
山本コウタローの学歴
それでは、山本コウタローさんの学歴についてまとめていきたいと思います。
山本コウタローの出身中学
まずは、山本コウタローさんの出身中学について見ていきたいと思います。
山本コウタローさんは、東京都千代田区出身ということで、千代田区立麹町中学校を卒業されています。
千代田区立麴町中学校の場所はこちらになります。
山本コウタローさんが通っていた麴町中学校は、「自律・尊重・創造」を学校目標とされており、割と自由な校風のようです。
麹町中学校には、麹中塾というものがあり、上智大学や東京理科大学の学生に勉強についての質問ができるようになっているため、学力も高いようです。
山本コウタローさんが通っていた当時は、どれほどまでに学習環境が充実していたかわかりませんが、現在は、学習環境も非常に充実しているようです。
比較的自由な校風である麹町中学校に通っていた山本コウタローさんですが、高校はどちらの高校に進学されたのでしょうか。
まとめていきたいと思います。
山本コウタローの出身高校
山本コウタローさんは、麹町中学校を卒業された後、東京都立日比谷高等学校に進学されています。
東京都立日比谷高等学校の場所はこちらになります。
山本コウタローさんが通っていた、東京都立日比谷高等学校の偏差値は、「75」とされています。
東京都内の公立高校では、226校中、1位を誇る偏差値になります。
全国で見ても、10005校中、23位と非常に学力の高い学校になっています。
そんな、レベルの高い高校に通っていた山本コウタローさんはどんな学生だったのか、調べてみましたが、情報はありませんでした。
しかし、高校の偏差値を見てわかるように、山本コウタローさんは頭が良いということは明らかですね。
では、東京都立日比谷高等学校を卒業された後、山本コウタローさんはどんな大学に進学されたのでしょうか。
まとめていきたいと思います。
山本コウタローの出身大学
東京都立日比谷高等学校を卒業された山本コウタローさんですが、高校卒業後は、一浪されています。
そして、一浪したのち、上智大学の経済学部に入学されています。
しかし、山本コウタローさんは、上智大学経済学部に入学するも、在学中に東京大学を受験することを志していたようです。
結果的に、東大紛争により受験を断念することになりましたが、一橋大学社会学部に転学されます。
その後は、在学中にフォーク・グループ「ソルティー・シュガー」のメンバーとして活動を開始されます。
そして、「走れコウタロー」で日本レコード大賞・新人賞を受賞され、一躍有名になりました。
ソルティー・シュガー解散後は、武蔵野タンポポ団のメンバーとして中津川フォークジャンボリーに参加されます。
この時に、なぎら健壱さんと親交を持つようになりました。
そして、大学を卒業されるわけですが、大学時代には新人賞を受賞されたり、なぎら健壱さんと親交を持ったりと、かなり濃い大学時代を送られていたことがわかりますね。
大学時代にこれほどの実績を手に入れた山本コウタローさんですが、大学卒業後はどうなったのでしょうか。
経歴についてまとめていきたいと思います。
山本コウタローの経歴
それでは、山本コウタローさんの経歴についてまとめていきたいと思います。
山本コウタローの経歴 1972年~2000年
山本コウタローさんは、1972年に大学を卒業され、ソロ活動を開始されます。
そして、1974年に、森一美さん、板垣秀雄さんらとフォーク・グループ「山本コウタローとウィークエンド」を結成されます。
同年、デビュー曲である「岬めぐり」を発売され、オリコン5位の大ヒットとなり「走れコウタロー」に並び、現在も人気を誇っています。
1971年~1978年には、TBSラジオの「パック・イン・ミュージック」のパーソナリティを担当されます。
「パック・イン・ミュージック」が終了後は、アメリカに渡り、2年間アメリカで生活されます。
そして、帰国後、「笑っていいとも!」の火曜日、金曜日のレギュラーを担当されます。
また、「午後は○○おもいッきりテレビ」の司会も担当されます。
1989年には、第15回参院選比例区に環境政党「ちきゅうクラブ」より立候補しますが、落選されます。
1995年には、環境学を学ぶため、イギリスに留学されます。
2000年までの経歴としては、音楽やラジオ、バラエティー番組や政治活動とマルチに活動されていたイメージがありますね。
山本コウタローさんの2000年以降は、どんな活動をされていたのでしょうか。
見ていきたいと思います。
山本コウタローの経歴 2001年~2022年
2005年に、森一美さん、見崎孝雄さん、オラン本柳さんと共に、「山本コウタローとほぼウィークエンド」を結成されます。
そして、2008年には、京急三崎口駅の電車到着メロディに楽曲が採用されます。
同年、5月には、「渡る世間は鬼ばかり」に出演され、角野卓三さん演じる小島勇の友人を演じました。
その後、2017年には、京急三浦海岸駅の電車到着メロディに楽曲が採用されます。
2019年には、白鷗大学を定年退職され、白鷗大学名誉教授に就任されます。
そして、2022年7月、脳内出血により死去となっています。
山本コウタローの学歴まとめ
今回は、山本コウタローさんの学歴についてまとめさせていただきました。
山本コウタローさんの出身中学・高校・大学についてまとめましたが、非常に優秀であるということがわかりました。
大学時代には、日本レコード大賞・新人賞を受賞されるなど、偉業を成し遂げますが、その後の経歴についてもさまざまな実績を残されていました。
そんな優秀な山本コウタローさんが亡くなってしまったことは非常に残念です。
山本コウタローさんの葬儀は、近親者のみで執り行われたとのことですが、改めてご冥福をお祈りいたします。
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