歌手の葛城ユキさんが腹膜がんで亡くなったと報道がありました。
葛城ユキさんと言えば、独特なハスキーボイスが特徴で、「ボヘミアン」などのヒット曲で知られています。
葛城ユキさんへの憧れを持つ方も多く、「かっこいい」というイメージがありますよね。
そんな一流歌手の葛城ユキさんですが、学生時代はどういった方だったのか気になりますよね。
ということで、今回は、葛城ユキさんの学歴についてまとめていきたいと思います。
葛城ユキのプロフィール
ではまず、葛城ユキさんのプロフィールについて紹介していきたいと思います。
・名前 :葛城 ユキ(かつらぎ ゆき)
・本名 :田中 小夜子(たなか さよこ)
・生年月日:1949年5月25日
・年齢 :73歳
・出身地 :岡山県川上郡川上町
・身長 :167㎝
・職業 :歌手・作詞家
本名は、田中小夜子さんといい、「葛城ユキ」というのは芸名のようですね。
「葛城ユキ」という名前は、ヤマハ音楽振興会の理事長を務めていた川上源一さんという方が名付けたそうです。
昔から言い伝えのある地名に興味があったため、奈良県の葛城に由来する、源氏物語の一文から採って「葛城」を採用したようです。
「ユキ」というのは、名前のバランスを考えて名付けられました。
葛城ユキさんは、コンテストや歌謡祭などで数多くの受賞経験があり、一躍有名になりましたが、学生時代はどんな方だったのでしょうか。
葛城ユキさんの学歴について見ていきたいと思います。
葛城ユキの学歴
それでは、葛城ユキさんの学歴についてまとめていきたいと思います。
葛城ユキは倉敷翠松高等学校に通っていた
葛城ユキさんの出身高校は、片山女子高等学校になります。
現在は、倉敷翠松高等学校という名前に変更されており、場所はこちらになります。
葛城ユキさんの出身地である、岡山県川上郡川上町(現:高梁市)から高校までは、約40km離れているようです。
学校に通うだけでも大変だったことが想像できます。
寮生活などをされていたのかわわかりませんが、葛城ユキさんの高校時代は、バレーボール部に所属していたようです。
身長が167㎝と高い理由は、バレーボールが関係しているのかもしれませんね。
葛城ユキさんは、バレーボール部ではキャプテンを務めており、アタッカーとして活躍していました。
国体に2回、インターハイに1回出場経験があり、優秀選手だったようです。
葛城ユキさんは、高校時代からすでに一流だったことがわかりますね。
そんな葛城ユキさんですが、倉敷翠松高等学校を卒業後、大学には進学されているのでしょうか。
まとめていきたいと思います。
葛城ユキの高校卒業後の進路
倉敷翠松高等学校を卒業された葛城ユキさんは、大学に進学されたのでしょうか。
結論からすると、葛城ユキさんは、大学には進学されていないようです。
というのも、倉敷翠松高等学校でバレーボール部に所属していた葛城ユキさんは、国体、インターハイの出場経験から実業団から声がかかっていたようです。
そのため、葛城ユキさんは、倉敷翠松高等学校を卒業後、大学進学の道には進まず、倉敷紡績に入社されたようです。
倉敷紡績は、日本の繊維製品の大手メーカーで、そんなところに入社されるなんてすごいですね。
しかし、葛城ユキさんは、大手メーカーである倉敷紡績に入社されたのになぜ、歌手になったのでしょうか。
気になるところだと思いますので、まとめていきたいと思います。
葛城ユキが歌手になった経緯
葛城ユキさんが倉敷紡績に入社されてからどういった経緯で歌手になられたのかまとめていきたいと思います。
倉敷紡績に入社することになった葛城ユキさんですが、実業団の選手の中では、身長が低い方であり、アタッカーからセッターへの転向を言い渡されたそうです。
しかし、葛城ユキさんは、アタッカーではないと納得ができず、自分が中心でないと嫌だという理由で、倉敷紡績を1か月で退社されたようです。
その後、音楽をやりたいという夢があった葛城ユキさんは、大阪に移住することを決断し、大阪の音楽スクールに通い始めました。
そして、1973年に、「朝霧マチ」という名義でヤマハポピュラーソングコンテストに出場し、歌唱賞を受賞されます。
1975年には、「木曾は山の中」を歌い、最優秀賞を受賞されます。
同年の秋には、世界歌謡祭でも川上賞に入賞され、メジャーデビューを果たすことになりました。
こういった経緯があって、葛城ユキさんは、歌手になられたようですね。
しかし、音楽がやりたいからといって、簡単に歌手デビューできるほど甘くない世界ですが、それを実現させる葛城ユキさんは、やはりかっこいいですね。
葛城ユキの学歴についてまとめ
今回は、葛城ユキさんの学歴についてまとめさせていただきました。
葛城ユキさんの学生時代は、バレーボールで活躍されており、一流選手であったことがわかりました。
また、その後の進路についてもかっこいい生き方をされていたと感じるエピソードがありましたね。
葛城ユキさんは、腹膜がんにより亡くなられましたが、最後までかっこいい方だったのだと感じた方も多いのではないでしょうか。
そんな偉大な方が亡くなられたことは本当に残念ですが、ゆっくり休んでいただきたいですね。
それでは、最後まで読んでいただきありがとうございました。
コメント